家族性地中海熱という病名を初めて聞いたとき、
「なぜ”地中海”という名前がついているんだろう?」
「地中海とは縁遠い日本で暮らす自分がなぜ?」
と、不思議に思った方も多いのではないでしょうか。
私自身、不明熱の検査で血清アミロイドA蛋白(SAA)が高値を示していたことから病名の候補として「家族性地中海熱」が浮上したとき、まず気になったのはその名前のことでした。
今回は、病名の由来に関する話や、この病気が医学の世界でどのように発見・理解されてきたかの歴史について、国内外の文献を調べて詳しくまとめました。
同じFMF患者の皆さんや、そのご家族の参考になれば幸いです。
※本記事は筆者の実体験と一般的な情報をもとに執筆したものです。症状や治療については医療機関にご相談ください。
結論:この記事で分かること
この記事の内容をまとめると、以下のようになります。
- 「家族性地中海熱」という病名は、地中海沿岸地域の特定民族に発症者が多く、同じ家族内で出る傾向がみられたことが由来
- この病気が最初に記録されたのは1945年のアメリカ(シーガルの記述)
- 現在の「Familial Mediterranean Fever(FMF)」という名称が定着したのは1958年頃
- 原因遺伝子の発見は1997年で、比較的最近のこと
- コルヒチンによる治療が確立されたのは1972年頃
それでは、まずは家族性地中海熱(FMF)という名前の由来から詳しく見ていきましょう。
なぜ”地中海熱”という名前なのか
「家族性地中海熱」という病名を聞いて、多くの人がまず抱く疑問は「地中海との関係は何?」というものではないでしょうか。
まずは、”地中海”という言葉がなぜ使われるようになったのか、その背景から見ていきます。
地中海沿岸の民族に多い病気だった
「Familial Mediterranean Fever(FMF)」という病名は、1958年頃にヘラー(Heller)らが提唱したものです。
「Mediterranean(地中海の)」という言葉が使われたのは、当時この病気が特に多く確認されていた地域・民族を反映しているためです。
患者が集中していたのは以下のような民族でした。
- アルメニア人
- トルコ人
- セファルディ系ユダヤ人(スペイン・北アフリカ系のユダヤ人)
- アラブ人(北アフリカ・中東)
これらはいずれも、地中海を取り囲む地域に暮らしてきた人々です。
また、「Familial(家族性の)」という言葉がついているのは、同じ家族の中で発症者が出る傾向が観察されていたためです。当時から遺伝子の関与が示唆されていたことを反映した命名といえます。
しかし、現在ではこの病気は日本を含む世界中で報告されており、「地中海熱」という名前は必ずしも正確とは言えないとも指摘されています。
病名が付けられた当時の知見がそのまま残っているというのが実情のようです。
FMFが初めて記録された歴史
現在のFMFという概念が確立されるまでには、複数の医師たちによる報告が積み重なっていました。その始まりは、1945年のアメリカに遡ります。
1945年:シーガルによる最初の記述
家族性地中海熱の臨床的な記述として最初のものは、1945年に発表されたとされています。
ニューヨークのアレルギー専門医、シェパード・シーガル(Sheppard Siegal)が、繰り返す腹膜炎の発作を起こす患者10例を報告しました。
彼はこの症状を良性発作性腹膜炎(benign paroxysmal peritonitis)と名付けました。
「良性」と付けられているのは、症状はあるものの直接命に関わらない経過をたどることが多かったためと考えられています。
ちなみに、シーガル自身もこの症状の当事者だったという記録があります。
患者でもある医師が自分自身の発作を記述してこの病気の歴史が始まったというのは、記録を残すことの意味を改めて考えさせられるエピソードです。
さまざまな名前で呼ばれた時代
その後、同様の症状を報告する医師たちがそれぞれ異なる名前をつけたため、この病気はしばらく複数の名称が混在した状態が続きました。
主なものをまとめると、このようなバリエーションがあります。
| 年代 | 提唱者 | 病名 |
|---|---|---|
| 1945年 | Siegal | 良性発作性腹膜炎(benign paroxysmal peritonitis) |
| 1948年 | Reimann | 周期性疾患(periodic disease) |
| 1951年 | Mamou & Cattan | 周期病(la maladie périodique) |
| 1957年 | Rachmilewitz | 再発性多漿膜炎(recurrent polyserositis) |
| 1958年 | Heller ら | 家族性地中海熱(Familial Mediterranean Fever) |
他にもアルメニア病(Armenian disease)という名称もかつては使われており、アルメニア人患者の多さを反映したものでした。
また、周期性腹膜炎や家族性再発性多漿膜炎など、当時から「症状が繰り返し現れる」ことが注目されていたとわかる名前も多数あります。
一つの病気にこれほど多くの名前があったということは、いかにその実態が掴みにくかったかを示しているといえます。
1997年:原因遺伝子の発見
病名が定まってからも、長年にわたってこの病気の原因は不明のままでした。
その状況が大きく変わったのが1997年です。
国際家族性地中海熱研究会と、フランスのFMF研究会がほぼ同時期に、原因となる遺伝子を特定しました。この遺伝子は「MEFV遺伝子」と命名されています。
MEFV遺伝子は、「パイリン(pyrin)」と呼ばれるタンパク質の設計図にあたります。
パイリンは炎症反応のコントロールに関わっているとされており、このタンパク質がうまく機能しないことで、体内で制御されない炎症が繰り返されると考えられています。
日本人患者では「遺伝子変異なし」も多い
日本のFMF患者では、FMFの症状がはっきりあっても遺伝子検査で変異が見つからないケースは珍しくないと言われており、その場合「臨床症状」や「コルヒチンの反応」などから診断されることになります。
私自身がまさにその一人で、2023年に大学病院で遺伝子検査を受けましたが、変異は検出されませんでした。

それでも、症状や経過が診断基準を満たすとしてFMF典型例と診断されています。
「遺伝子検査で変異なし=FMFではない」とすぐに判断されるわけではありません。
このことは、遺伝子検査の結果と実際の症状の狭間で悩む方に知っておいてほしい事実です。
遺伝子検査の詳細や費用については、以下の記事にまとめています↓
コルヒチンとの出会い:治療の歴史
現在、FMF治療の第一選択となっているのはコルヒチンという薬で、発作の頻度・重症度を下げるとともに、将来的な合併症であるアミロイドーシスを予防する効果があるとされています。
このコルヒチンは、古くから痛風の治療に用いられてきた歴史を持つ薬で、イヌサフランという植物に含まれる成分が由来です。
FMFへのコルヒチンの効果が医学的に確認されたのは1972年頃とされています。
原因遺伝子が特定される1997年よりも25年も前に、「なぜ効くかは分からないが、とにかく効く」という状態で治療が確立されていたという点は、医学の歴史としても興味深い事実です。
コルヒチンが効きにくい場合や副作用で継続できない場合には、生物学的製剤(カナキヌマブなど)が選択肢となることもあります。
アミロイドーシスという合併症については、こちらの記事で詳しく書いています↓
日本での位置づけ
日本では「指定難病266」として登録されており、難病法による医療費助成の対象となっています。
私自身も指定難病の医療受給者証を取得しており、現在はこの制度を利用して治療を続けています。

難病情報センターの記述によると、日本国内の患者数は500人程度といわれています。しかし、FMFという病気および診断基準の周知が進んだことや、まだ診断に至っていない方も多くいることを踏まえると、潜在的な患者数はさらに多くなると予測されます。
日本人のFMF患者においては、前述のようにMEFV遺伝子の変異が検出されないケースや、海外でよく見られる変異パターンとは異なる遺伝子変異が見られるケースも多いとされています。
地中海沿岸の民族で多く確認されてきた病気が、日本のような遺伝的背景の異なる集団でも見られるという事実は、この病気の複雑さを物語っています。
医療費助成の仕組みや申請、実際に医療費がどれくらい安くなったのかは、こちらの記事で詳しく書いています↓
まとめ
約80年の歴史の中で、この病気の理解は少しずつ積み重ねられてきました。しかし、原因となる遺伝子が発見された今も、発症のメカニズムや日本人患者の病態には解明されていない部分が多く残っています。
当事者として感じるのは、1945年に最初の記述がされてから約80年が経った今も「自分の体の中で起きていることがまだ完全には解明されていない」という、少し不思議な感覚です。
遺伝子変異が見つからないままFMFの診断を受けた私にとっては、なおさらそう感じます。
だからこそ、当事者一人ひとりの記録や情報の積み重ねにも意味があるのかもしれません。
このブログが、同じFMF患者の皆さんやそのご家族の参考になれば幸いです。
※本記事は筆者の実体験と一般的な情報をもとに執筆したものです。症状や治療については医療機関にご相談ください。





